下津井電鉄について


詳しい事は下津井電鉄のHPに記されていますが、ほんの少しだけ僕程度の知識でまとめてみました。

下津井電鉄(以下、下電と省略)は、岡山県南部に位置する、瀬戸内海に面した風光明媚な下津井と国鉄茶屋町駅とを結ぶ軽便鉄道でした。全国でも数の少ない狭軌鉄道(ナローゲージ)として鉄道ファンの眺望?を集めていた(らしい)です。
1910年(明治43年)下津井軽便鉄道として味野町(旧児島駅)−下津井間に開通しました。
1913年(大正2年)味野町−茶屋町間の14.5kmが開通し、国鉄と連絡。岡山−下津井間が結ばれ多くの人々の生活を支える足として繁栄して来ました。

昭和に入ると、汽車もガソリン化し、アメリカ製のガソリンエンジンを積んだボンネットタイプの車両が走りました。このタイプの汽車は僕の父親も懐かしく思い出す程印象的だったそうです。福南山や鷲羽山へ向かう上り坂では人間が歩く速度よりも遅かったそうで、坂を上りきれず乗客が押して走らせたこともしばしばあったそうです。やがて下電もその名の通り電化され坂道も快適に走れるようになるに至りました。
こういった微笑ましいエピソードがあるから下電は身近な存在に感じるのかもしれませんね(^^

1972年(昭和47年)3月31日に下電の茶屋町−児島間が廃線となりました。僕が生まれる5ヶ月前の事です。
僕の母は結婚するにあたって初めて父の実家を訪ねた時、岡山駅から国鉄宇野線(現在のJR宇野線&瀬戸大橋線)、下電を乗り継いで藤戸駅まで来た事を教えてくれました(^^ 藤戸駅からは今のように歩道が無かったため、線路を歩いて大通りまで移動したそうです。
また、祖母の話では最初は藤戸駅は無く、天城駅から歩いていたため便が悪く困っていたそうです。その後、藤戸駅が新設され便利になった事を教えてもらいました。その昔、電車道を人が歩くことが多く、また、子供達が倉敷川にかかる橋(塩干橋)の上からで魚釣りに興じて、しばしば電車を停めてしまっていたこともあったとか(^^ 

以後、下電は児島−下津井間(約6.5km)を走り続ける事となりました。瀬戸大橋が開通した直後は観光列車として転身を図ったものの、減りつつける乗客に歯止めがかからず1990年12月31日に全線が廃線となり、その80年に及んだ歴史に幕を閉じることとなりました。

茶屋町−児島間は早くから自転車道として整備されました。茶屋町駅から始まる桜並木も春には満開となり、その美しさに目を奪われるほどです。また、稗田駅跡は公園として整備され地域住民の憩いの場となっています。稗田駅跡には駅名看板と下電の歴史を伝える文面があります。ぜひ、近くを通った際には一度目にとめて欲しいです(^^


稗田駅跡には昔を偲ぶ風景があります。


そして、廃線になった児島−下津井間も「風の道」として整備され、倉敷市のHPによると、 遊歩百選に選定されたそうです。下電が走っていた頃の風景をそのまま残し、きれいに整備された遊歩道です。ぜひ、皆さんも一度通ってみていただけたらと思います(^^
本文作成日・・・2003年09月24日

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